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夏の白雲
春夏秋冬 平成3年
梅雨前線がどっかりと腰をすえ、日本列島はいま梅雨のさなかです。しかし、その梅雨も、間もなく明けましょう。
梅雨が明ければ盛夏の到来です。山の峰々から白雲が湧き、夏がやってきます。私は、郷土伊勢の東にそびえる朝熊山から湧き上がる白雲を見るのが、大好きでした。あの白雲を眺めますと、しみじみと、ああことしも夏にめぐり会えた、という思いがしたものです。
いま郷里伊勢から遠く離れている私として、その思いは一層強く、はげしいのです。
白い夏雲は、こちらの山にも湧くことでしょうが、朝熊山の白雲を見るような思いには、けっしてなれないでしょう。
なぜなら朝熊山には、いろいろな思い出がいっぱいこめられているからです。喜びの時、悲しみの時、さまざまな思いをもって眺めた山です。そのたびに、この山は私をなぐさめたり、励ましたりしてくれたのです。
五月二十七日、二日間の帰省を終え、こちらに帰るとき、電車の車窓から遠ざかっていく朝熊山を、飽かずに眺めていました。
そのとき、ふとこんな思いが胸をよぎったのです。もしこれが見納めであったらどうだろう。二度と帰れないとしたらどうだろうと。縁起でもないと言われるかも知れませんが、ほんとうにそういう思いがしたのです。
そう思いますと、見慣れた朝熊山の姿が、一層うつくしく、なつかしく思えてなりませんでした。
太平洋戦争のあと、さいわいにいのちを得て帰国された方々が、帰国の船上からはじめて富士山を眺めたとき、みな涙を流されたといいますが、そうであったろうと思います。
ふるさとの山河と人間、広く言えば天地自然と私たち人間のつながりは、ふだんお互いが想像しているより、ずっとずっと広く深く強いものがあるのです。
お互い人間は、そういうものなのですから、郷土の自然を、もっともっと深く知り、愛さなければなりません。かりそめにも不足を思ったり、悪しざまに言ったりしてはなりません。
ふだんいくらつまらないところだと思っていたとしても、もうこれでお別れだとなったら、人間は誰しもふるえるようななつかしさを覚えるに違いないのですから。
いろいろなことがありましょうとも、この天地自然のなかで、感謝とよろこびをもって、おたがいに仲良く生きていきたいものです。
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