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なつかしさの情について
春夏秋冬 平成3年
 人間には、「なつかしい」という感情があります。この感情は、人間なら誰しも、程度の差こそあれ、みな持ち合わせているものです。
 この「なつかしい」という感情は、人間の持つ様々な感情のなかでも、もっとも良質な感情ではないかと思うのです。
 私にも時おり、「なつかしい」という感情が湧いてきますが、そのたびになにかなごやかな、救われたような気持ちにならされるのです。
 ちなみに、岩波「広辞苑」によりますと、「なつかしい」ということばの解説として、(一)「そばについていたい。親しみがもてる」(二)「心がひかれるさまである。しっくりとして優しい感じである」(三)「かわいい。いとしい」(四)思い出されてしたわしい」などとあります。
 べつにことさら説明されなくても、おたがいみな、「なつかしい」という感情は知っていますが、こうした説明を読んでみると、みな当たっているようにおもいます。

 山、川、森、海、草木、花、そして人、おたがいには、「なつかしい」と感じるものがいろいろあります。
 たとえば花ひとつにしましても、その花を眺めているうちに、ただ花の美しさだけではなく、ある時ある所で、喜びやら悲しみやらいろいろな感情をもってその花を眺めた過去の自分の姿が思い出され、「なつかしい」と思う時があります。
 ここでは、あじさいの花に托して、私の「なつかしい」想い出を書いてみます。
 それは、昭和五十九年の今ごろのことであったと思います。
 二番目の姉の夫が、長い闘病のすえ五月二十三日に亡くなりました。義兄の家は禅宗の檀家であったので、葬儀はお寺で行われ、七日々々の法要は、ご住職に自宅までお越しいただいて仕えました。そのたびに私は、ご住職をお迎えに、車でお寺にうかがっておりました。
 そのお寺の境内に、あじさいが幾株も咲いていたのです。季節はちょうど梅雨の頃です。閑寂なお寺の境内には、雨にしっとりと濡れたあじさいが、静かに咲いていました。
 その時のあじさいの色と形を、ことしも梅雨時を迎えて、しみじみなつかしく想い出すのです。
 あじさいの花をとおして、亡き義兄の生と死を想い、さらにそれにかかわったその当時の自分の姿を、しみじみとなつかしく想い起こすのです。
 義兄はどこへ行ったのか、そしてその頃の自分はどこへ行ったのか、なつかしくてなりません。この「なつかしい」という感情の故郷を辿っていくと、いつかおたがいは、悠久の天地に、そして神様に出会うのではないでしょうか。
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