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葛藤
春夏秋冬 平成3年
 今月号は、いつか書かせてもらおうとかねがね思っていたことを、書いてみます。
 さて、季節は五月、新緑が目にしみ風薫る、一年中でいちばん爽やかで、しかもいきいきとした季節です。
 この時期、野山にまいりますと、あちこちに藤の花が咲いています。棚から垂れ下がった藤も見事ですが、私はそれよりも、山の中の樹木にまじって、目立たずひっそりと咲いている藤のほうがいっそう好きです。
 毎年この季節、近畿日本鉄道大阪線で大阪に向かうとき、列車が青山高原の麓にさしかかる頃、左右の車窓から、あちこちに山藤の清楚な姿が眺められます。淡い紫色のその姿にはまことに気品があり、しかも妖しい美しさを漂わせています。藤の花を眺めるのは、この季節の私の大きなたのしみであり、よろこびです。
 ところで、見出しの題名からもお気づきかと思いますが、ここで私が言いたいのは、花のことではなく、藤の枝のことです。
 ご存じのように藤の枝は、朝顔のつるなどと同じように、つる状の枝がくねくねと曲がりながら、他の樹木にまといついて伸びています。そのさまは、複雑怪奇と言えるほどで、とても美しい枝振りなどと言えるものではありません。その枝の先にあのような美しい花が咲き、美しい花を支えている枝が、あのように不恰好でややこしい姿なのが、なんとも不思議でなりません。

 ところで表題の「葛藤」とは、葛や藤の枝がもつれからむことのたとえをもって、様々な「もつれ、悶着、あらそい」を表すことばです。じつに含みのある意味深長なことばではありませんか。
 この世の中には、いろいろな葛藤が渦巻いています。わたくしたちの人生は、ある意味では、葛藤の連続です。家庭に隣近所に職場に、あるいは人と人、集団と集団、民族と民族、国と国との間に、たえまなく無数の葛藤が起きています。
 この葛藤は、人間がいかにりきんでも、そうたやすく、一時にほどけるものではありません。それどころか、かえってこんがらがり、もつれていくものです。この葛藤に耐えきれず、解決を焦って、からんだ枝を切り裂いてしまうようなことさえあります。それでは枝も枯れ、花も咲くことはありません。
 しかし私は信ずるのです。ほどこうとしてほどけない葛藤も、天地の道理に従って、いつか必ずほどけるものであることを信ずるのです。その時が来るまで、信仰にもとづく希望をもって、天地の道理を信頼し、辛抱づよく、葛藤を解きほぐす努力を続けていきたいものです。そしていつか、藤のような美しい花を見たいものです。
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