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目覚まし時計
春夏秋冬 平成3年
 目覚まし時計という便利なものがある。私も、毎日そのお世話になっている。
 家内と一緒にいた時は、先に起きる家内に起こしてもらうことが多かったが、ひとり暮らしで、しかも毎朝早く起きるようになってからは、目覚まし時計をすっかり信頼して、そのお世話になるしかない。
 毎晩床につく前にセットし、明朝も頼みますよと挨拶して、眠りにつくのである。
 信頼に応えて、毎朝、目覚まし時計は私を呼んでくれる。その声色(こわいろ)というよりは音色(ねいろ)が、三通りになっているのが面白い。
 まず最初は、「ピピピ、ピピピ」と鳴るのである。音色もいちばんやさしい。「起きて。起きて」と聞けなくもない。
 それが過ぎると、つぎは、「ピピピピ、ピピピピ・・・ ・・・」とやや強く鳴る。なんだか少しいら立った音に聞こえる。
 「起きてよ、起きてよ!」と聞こえなくもない。
 それでもまだ起き上がらず、うとうとしていると、最後に、三度目には、「ピピピピピ
ピ・・・ ・・・」と鳴り出す。
 無心な機械なのだが、これはいかにもしびれが切れた、というような音色である。
 人間の声にたとえれば、「何遍呼んだら起きるの。いいかげんに起きなさい!」と言われているみたいである。
 毎朝、この三つの音色のどれかで起きだす訳である。
 一度目の音で、素直に「ハイ」という気持ちで起き出す日もあれば、二度目の音でしぶしぶ起き出す朝もあり、時には三度目のけたたましい音で、仕方なく、ふてくされた気持ちで床を離れる朝もあり、といった具合である。
 目覚まし時計と私との、そんな関係を、面白いなあと思っていたある日、ふと心に浮かんだことがある。それは、「お気づけ」ということである。
 「お気づけ」とは、私どもの信仰では、「神からの注意、あるいは警告」といった意味である。
 「お気づけ」とは、さまざまな人や、あるいは物事をとおして伝えられる。そしてそれにも、いろいろな程度や段階がある。さきの目覚まし時計と、どこか似ているように思えてならない。
 神は、けっして、いきなり厳罰を与えられるのではない。神はこの上なく忍耐づよく、あくまでも、人間がみずから気づき、目覚め、みずからの生きかたを改めるのを待たれる。しかし、待たれるのにもおのずから限度があり、第二・第三の「お気づけ」が発せられる。それで、なお目が覚めなければ・・・。
 私に対しても、人類に対しても、神様から、天地から、次々に、さまざまな「お気づけ」が出されているように思える。その声をしっかり心の耳に聞き取らなければと思いつつ、ついまどろんでしまうのが人間である。
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