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自然の声
春夏秋冬 平成3年
「自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を与えうる」
このことばは、神谷美恵子という方の「生きがいについて」という名著のなかの一節です。私もこのことばに深い共感を覚えます。家庭や郷里を遠く離れ、ひとり暮らしをしている今の私にとって、このことばはまさにぴったりで、胸に響きます。
その「自然の声」を聴くために、私はよく散歩に出かけます。べつに遠くに行かなくても、すぐ近くに山があるのです。山といってもそう高い山ではありません。たぶん三百米足らずの低い山です。それでも、舗装されたドライブウェイなどを自動車で登るのと、自分の足でてくてく歩いて登るのとでは、その味わいは大違いです。
早春の寒い日でも、一歩一歩登るにつれて、じっとり汗ばんでまいります。視界も少しずつ開けていきます。
人一人が通れるような小径(みち)を、落葉を踏みしめながら登っていきます。時折、ばさっと音をたてて、かたわらの樹木の間から小鳥が飛び立ちます。ここにも生きものがいるのだな、そう気づいてうれしくなります。
ところどころに、紅白の梅がひっそりと咲いているのに出会います。見に訪れる人もほとんどないのですが、そんなことはお構いなしに、静かに凛として咲いています。ここにもいのちが息づいているな、そう思うとなにかしら賑かな気持ちになります。
ようやく頂上まで登り、深々と息をします。思いっきり息を吐き、澄んだ大気を胸いっぱいに吸いこみます。
時おり梢をわたる風の音や、たまに聞こえる小鳥の声のほかは、まったくの静寂です。
この静寂のなかにじっとたたずんでいますと、心臓の鼓動の音が、からだの中から聞こえてきます。その音を聞いていると、こわいようないじらしいような思いが、こみあげてきます。
何も思わず、何も考えず、心を解き放してじっと座っておりますと、この自分というものが、大きな天地のいのちにつながり、天地のいのちとともに生きているものであることを実感させられます。
天地は私を包み、その私のからだの中にもまた天地のいとなみがあり、生きて生かして止まることがありません。その天地のいのちは、何を求め、願っているのでしょう。
「天地のいのちに生きるわれとして、わが心の神にめざめ、神の願いに生き、われひと共に助かる世界を生み出そう」
一昨年から教団で始められた「よい話をしていく運動」の「願い」が、痛切に胸に迫ってくるのです。
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