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教主金光様をしのぶ
春夏秋冬 平成3年
今年に入り、松の内も過ぎた一月十日教主金光様には、にわかにおかくれになりました。
八十を越えられたご高齢のことゆえ、いつかこういうことに出合うことは覚悟してまいりましたものの、いざ現実となってみますと、深い悲しみと衝撃に、しばらくは呆然としてしまいました。
悲しみにひたる間もなく密葬を仕え、小休止ののち、今また、来る二月十七日のご本葬の準備に慌しい毎日です。
ゆっくりとお偲びしている間もない日々ですが、金光様のご最期は、ほんとうにいさぎよく、さわやかなものでありました。おなくなりになる直前まで、教主としてのおつとめを、しっかりと果たされました。
ご生前は、その威厳におそれをおぼえ、なんだか近よりがたく思ったこともありましたが、今こうしてお別れしてみると、なつかしさがこみあげてまいります。
金光様がご生前、常におっしゃっていましたのは、「実意をこめてすべてをたいせつに」ということです。
これは、金光様ご自身が、教祖様のご信心、また御父君である三代金光様のご信心を、ひと口につづめて言い表わされたものであるように思います。
正直なところ私は、以前はそれほどにも感じていなかったのですが、昨年八月末から、単身ご霊地に住み、本部におつとめするようになって、このおことばを折りにふれて思い出し、ほんとうにそうだ、そのとおりだ、と思えるようになりました。
みんなたいせつ、どれもこれも、なにもかもたいせつなのだと、しみじみ感じるこのごろです。
ふつうおたがいは、これがたいせつと思いますと、反動的に何かを軽く考え、粗末にしてしまいます。
人についても、物事についても、ある人ある物事をたいせつに思う一方で、他の人や物事をつまらないものと考え、見下したり、無視したりしてしまいがちです。
それがつもりつもって大きなご無礼となり、罪ともなっていくのです。難儀や苦労の原因になっていくのです。
いま思い出せないのですが、金光様はたしかそのことを、お歌によんでおられたように思います。
「実意をこめてすべてをたいせつに」ということは、至難のわざであり、自分でしようと思ったぐらいでは、なかなかできることではありません。しかし、そうしなければ助からないのです。そこを、どうかそうさせてくださいと、願い続けていかなければなりません。
金光様にお別れし、いまあらためてそのことを思っています。
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