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平凡なもののはたらき
春夏秋冬 平成3年
 ご霊地金光への行きかえり、いつも感ずることがあります。それは、平凡なもののはたらきということです。
 大阪から姫路あたりまで、列車は阪神間の市街地や、播州平野を走ります。通るたびに新しい建物や広告が目に入り、けっこう退屈しません。
 ところが、列車が姫路を過ぎると、まわりの景色は一変します。岡山までかなりの間、車窓からの眺めは、右を見ても左を見ても平凡な山ばかりです。
 山といっても高くそびえる秀麗な山ではなく、低い平凡な形の小山ばかりです。はえている木々も、格別目をひくようなものはありません。雑木林といった感じです。要するに何の変哲もない平凡な風景が、しばらくの間続くのです。
 そういう訳で、以前はその辺りに列車がさしかかると、ああまたあの退屈な眺めか、と思うことがよくありました。
 ところが最近になって、その同じ景色を見る私の目が、少々変ってきました。
 一つは、これまでは退屈にさえ感じられた景色が、逆になんとも言えぬやすらぎと落ちつきを感じさせてくれるようになってきたことです。複雑な人間関係に疲れたときなど、平凡な雑木林や低い山々のたたずまいが、やさしく包んでくれるように思えるのです。何ということもない平凡な自然の中から、心をなぐさめてくれるやさしい声が聞こえてくるように思えるのです。
 「自然の声は、社会の声、他人の声よりも、人間の本当の姿について深い啓示を与えうる」と言った人がありますが、ほんとうにそのとおりだと思います。
 もう一つ感ずることは、この一見何のとりえもないような平凡な山や樹木も、目には見えないけれども、きっと何か大きなはたらきを担っているのに違いないということです。
 たとえば、人間社会の放出する厖大な炭酸ガスを吸収し、人間の生存になくてはならない酸素を放出してくれていることも、その一例です。ほかにも、もっともっとかくれたはたらきが沢山あるのではないでしょうか。
 名所といわれるような所は、たしかに樹木の一本一本の姿形まで、人の目をひきつけるようなところがあります。ですから、沢山の人々が、お金を払ってでも、観光に訪れます。しかし、そういう所の自然だけが大切なのではありません。
 平凡で、眺める人も訪れる人もないような山や森にも、深いはたらきが秘められているのです。地球全体を見渡しても、絶景といわれるような所はそうはありません。多くは、かえり見る人もないような平凡なたたずまいのところです。しかし、そのすべてが、それざれにかけがえのない尊いはたらきを担い、たがいに支えあって生きているのです。
それはまさしく、神のはからいというものなのでしょう。
 このおはからいを信じて、ことしも元気に生きようではありませんか。
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