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父と私
春夏秋冬 平成2年
現在ではご存知の方はほとんどおられないでしょうが、じつは父もご霊地には単身赴任したことがあるのです。それは、戦後も間もない昭和二十年九月から翌年の三月中旬にかけてのことでした。本来なら四年のおつとめでしたが、途中で辞任いたしましたので、一年そこそこの短い期間のことでありました。
しかし、期間こそ短かったとは言え、当時は戦後のまったくひどい混乱状態の時であり、衣食住すべてにわたって、まったく不自由な時でした。とくに食糧の不足は深刻で、父は栄養失調にもなりました。
当時父は四十九歳でした。なんだかもっと年をとっていたように思っていましたが、考えてみると、現在の私より五年も若かったのです。それにしても五十近い年齢の男が、あの何もない物不足の時代、いかにご霊地とはいえ、地元から遠く離れてのひとり暮らしは、なかなかのことであったに違いありません。
私自身ひとりこちらで暮らすようになってみてはじめて、その頃の父のことがほんとうに身近に感じられるようになってきました。
赴任の時期も同じ八月からです。暑い間はよかったのですが、十二月になり寒くなってきますと、一層痛切に感じられるようになってきました。
その頃は、現在よりももっと寒さがきびしかったように思います。その寒さの中で、ひもじい思いをしながら、どうやって寒さをしのいでいたのだろうと思います。今のようにストーブや電気こたつがあるわけでなし、火鉢にいける炭とて、ろくろくなかったのではないかと思います。おそらく父は、手足をさすりながら、じっと耐えていたのだろうと思います。
その頃の父の姿が、最近とても身近に感じられ、慕わしく思えてなりません。それは、私もこうしてひとり同じところに来させていただいたおかげであると思っています。
父はなぜ、ひとりそういう生活の中へとびこんできたのでしょうか。それは、父がこのお道を、金光教を心から信じ、愛したからにほかなりません。それ以外の何ものでもありません。
母もまた、そういう父を信じ愛していたからこそ、父をこころよく送り出し、留守を守ってくれたのだと思います。
その頃の父や母の生活にくらべれば、現在の私の多少の不自由などものの数ではない、そう思いますと、感激がこみ上げてきて、ありがたくてなりません。
仕事はまだ始まったばかり、これから先の長いことなのですが、どこまでもこの気持ちを大切に一日一日を生きてまいりたいと思っています。
また、私や留守を守る妻が、こうしてご用にお使いいただけるのも、皆様の変らぬご信心があればこそです。年末にあたり、厚くお礼申し上げますとともに、一層のご精進を祈ります。
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