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人と事と
春夏秋冬 平成2年
誰はよいとか、彼は悪いとか、この人は正しいとか、あの人はまちがっているとか、そういったたぐいの話が、世の中には多いものです。
よいと思う人のことは無条件で信用し、反対に悪いと思う人のことは、頭から疑ったり否定したりしています。
あの人はどう、この人はどうと、わいわいがやがや騒々しいことです。
ひとごとではない。自分自身、知らず知らずの間にそういう動きに流され、同じようなことを言ったり、思ったりしていることが少なくありません。
それも無理のない面もありますが、しかしそこから何が生まれてくるのでしょうか。
よいことは何も生まれてこないように思われます。
大切なのは、誰がよいとか悪いとかいうことではない。よい人悪い人の区別をつけることではないと思うのです。
事柄全体がよくなっていくことが大切なのです。いろいろな人を含みこみながら、全体の動き、成り行きが、よい方へよい方へと動いていくことが大切なのではないでしょうか。
人をよいとか悪いとか決めつけることばかりに精を出している間に、事の全体はだんだん悪くなっていく、といったことがよくあるものです。それではなんにもなりません。
たとえば、お互いのこの肉体を見てみましょう。そこにどういう道理が現れているでしょうか。
手でも足でも頭でもよい。肉体のある部分が病んでいる時、他の部分は、病んでいるその部分を、お前が悪い、お前がいけないと言って、責めたりなじったりしているでしょうか。肉体には、そういうことはないようです。
それどころか、ある部分が病めば、他の部分は、そのことを自分の痛みとして、共に苦しみ、病んでいる部分を治そうとして、全体が総がかりになって働くのではないでしょうか。
いのちのこの姿このはたらきを思う時、私はおのずと頭が下がるのです。
くり返し申します。
大切なのは、誰がよいとか悪いとか、人の善悪をあげつらうことではありません。
事柄の成り行きが、みんなにとってよい方へよい方へと動き、現実がみんなにとってよくなっていくことです。
そのために、いま自分に何ができるか、自分は何をすべきか、そのことをしっかり考えていきたいものです。
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