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憎いかわいいはない
春夏秋冬 平成4年
おたがい信心をさせていただいているものにとって、つねに大切なことがある。それは、自分が信じている神について、正しい考えを持つ、ということである。
信心をするしないにかかわらず、このことは大切なのであるが、とくに信心している者としては、神というものについて、正しい考えを持つように努めることが、大切であると思われる。そうしないと、信心というものが、よい方向に伸びず、また、広く大きく成長しないからである。
神についての正しい考えの中味については、いろいろなことがあろうが、なかでも最も大切なことは、神というものは、広大無辺な愛であって、そこには、人間につきものの好き嫌いとか、憎いかわいいといったものはないということである。ここのところをよく理解することが、じつに大事なのである。
これは、ああそんなものかと言ってしまえばそれきりで、なんでもないことのようであるが、じつは重大なことなのである。
というのは、なんの苦労も悩みもなく、万事都合よくいっている時はよいが、ちょっと風向きが変って、苦労や不幸なことが続いてくると、神に対する気持ちがぐらついてくるからである。
というのは、なにかしら、自分が神に嫌われ、憎まれ、あるいは責められ、裁かれているような気持ちが起きてくるのである。円満順調にいっている人のほうには笑顔を向け、自分のほうは見向きもしてもらえないようで、やる瀬なく情けない気分に陥りがちなのが、おおくの人の常ではないだろうか。
これを、世間でよくいわれるべつの表現で言うと、なにか悪い霊がついている、なにかの祟りであるといったことになる。
人生の間には、自分は神仏からもうとんぜられ、運命に呪われているといった思いに陥る時が、たしかにあるものである。
病気で肉体が激しく痛む時、悲惨な事故に出会った時、そういう気持ちにならないほうが珍しいくらいであろう。
しかし、そういう時でも、神がその人を嫌われたり、憎まれているのではない。神とはそういうものではないのである。神には、とりたてて誰が憎いということもなく、さりとて誰かが特別にかわいいということもなく、かわいいといえば、いつでもみんな同じようにかわいいのである。
順調で幸福な時もそうでない時も、神の人間への愛は変ることなく、たえず平等に注がれているのである。
「天地の神様は、人間を内の子であると言っておられる。憎い、かわいいはない」
金光大神のことばにこもる思いをしっかり受けとめ、迷わず疑わず、「人間がかわいい」という神の一心に対して、人間として「真一心」をもって応えたいと思う。
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