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扉絵集



2019年2月号(No.806)
節分に思う
高阪健太郎

 大量廃棄が社会問題となってしまった節分の縁起物「恵方巻き」、その起源は未だ不明なのだとか。聞いた話では、あの丸かじりは江戸時代の花街で、縁起担ぎに行われていた男女の遊びのなごりだということですが、ほんとうでしょうか。
 教会では豆まき行事こそ行いませんが、毎年お供えした福豆をお下げしております。ちなみに柔らかくて美味しいと評判です。豆まきの掛け声といえば「鬼は外、福は内」。しかしこれはお道の信仰にそぐわないので、「(心の)鬼は外に出さず治りますように、福(よろこび)は内から広がりますように」と念じて行うとよいと思うのですがいかがでしょうか。実は豆まきで煎り豆を使うのは、煎った豆からは芽が出ないので、それを鬼にぶつけることは、つまり鬼門の金神を封じることになるのだそうです。教祖様によってやっと世に出た神様をそうとは知らず封じているとはあら大変。尤も呪詛は知られたら効果はないそうですので心配いりませんが。
 太古の昔、金神様の支配する世界は厳格に秩序が保たれ、争いも不正も貧富の差もない神代であったのが、仕組まれて閉じ込められたがためそれらの悪が横行する人代へと変わり果てたのだといいます。節分は一年の中で陰から陽へと秩序が変わる日、方位神が移動される日です。厳格で恐い神からすべてを包む愛の神へと進展された天地金乃神様に、心を正し、どうぞお護りくださいと願ってどの方角も恵方にしていただけば、煎り豆からでも芽が出るようなおかげが現れ、どんなことにもお繰り合わせをいただけるのが、このお道の素晴らしいところであると存じます。
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