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扉絵集



2019年1月号(No.805)
神話を生きる
高阪健太郎

 伊勢神宮の参拝者に様変わりが見え始めたのは、平成十八年のご遷宮行事・御木曳きの頃からでしょうか。参拝客の増加は御遷宮ごとのならいですが、以前は参る人も疎らだった別宮にも足を延ばす人が年々増え、いまでは荒御魂を祀る多賀宮や荒祭宮には行列までできています。初めて目にしたその異様な光景は、日本の総氏神天照大御神の宮を遥々参ってなお足りず、もっと響き合うような神との出会いを、人々が求め始めた兆しと感じました。
 なればいずれは「金神」を祀る場が探し求められるのは必然です。
 金神は、天照皇大神に「このような氏子は他にござりませぬ」と惜しまれながら文治(金光大神)を貰い受けるまでは、金神七殺と呼ばれ人々を畏怖させる凶神でした。なぜそこまで恐れられ鬼門へ封じられたのか、その謎を解く手がかりになる伝承があります。「素盞嗚神と金乃神様とは一つの神でござりますか」と尋ね来た人に、金光大神が「そう、同じことです」と肯定するのを側にいた直信が聞いています。驚いて真否を伺うのですが「天地金乃神は素盞嗚神くらいはお使いなさる」とさらりとかわされています。
 さて、神話では荒ぶるスサノオを恐れた天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇となり、困った神々は策を練り騒ぎを起こし何事かと覗いた天照大神を引きずり出して光を取り戻す。スサノオは八百万の神に高天原を追放されたということですが、敢えて想像を巡らせれば、スサノオが金神と一つの神であるなら天岩戸に隠れた神は出てきた神に挿げ替えられたとも類推できます。あらゆる真実は闇のなかにあり神話の旅に人生は短すぎますが、私たちは天地金乃神と金光大神が紡ぐ「神人の道」というあたらしい神話をいま生きるのです。
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