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巻頭言

扉絵集



2018年4月号(No.796)
巡りの助かり
高阪健太郎


「前々の巡り合わせで難を受け。氏子、信心いたしておかげ受け」

「どのような大きなめぐりがあっても、信心によって取り払ってもらえる。先祖からのめぐり、祟りは、神が道のつくようにしてやる」


 ある年の運動会のリレー走でこんなハプニングを見ました。走ってきた男の子がちょうど私たちの目の前で転倒してしまったのです。倒れている間に皆との距離が開いたことに慌てたのか、男の子は起き上がるとなんとトラック線を跨ぎ、次走者に向かって最短距離で走りだしたのです。場内はどよめきましたが競技は続行するほかありません。
 本人はただ「しまった、転んじゃった、遅れてしまう、早くバトンを渡さなきゃ」と思ってしたことでしょう。でもこれは後の走者たちが何人追い越しても挽回できません。低学年でルールがよくわかっていなかったのが、ちょっとかわいそうでした。
 さて、天地にも、天地の道理というルールがあります。これもリレーと同じくどこかでそのルールに触れれば後々に影響が及びます。それを「巡り」と呼ぶのですが、「親先祖のことだから私らとは関係ない」とは言えません。私たちも知らず知らず巡りを積み、後々にそれを残していかざるを得ないからです。
 自分は正しい人間で巡りなど関係ないと思われるかもしれませんが、たとえば、家族が大切と言って自分ではそうしているつもりでも、そのために仕事やお金、付き合いを優先したりして家族が寂しい思いをしていたら、それも巡りになります。言うことと行動が食い違う自己矛盾、それこそが巡りの正体だからです。体はいつか無くなりますが、矛盾まで消えてはくれません。遠い過去から人間が積み上げた矛盾の塊のなかで、つじつまを合わせているからこの世は生き辛いわけです。
 その巡りを解くのが信心であり、お取次を頂くことです。その苦しさを神様の前にさらけ出せば、ひなたの氷のごとくに溶かされていくのです。
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