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扉絵集



2018年2月号(No.794)
喜びが主語
教会長


 『信心するという心におかげはない。信心させて頂くという心におかげはある。商売するというから神は見ておる。商売させて頂くという心になれば、神はつきまとうてさせてやる』といわれています。
 「する」と「させていただく」の境目はどこにあるのでしょう。しているのか、させていただいているのか、それを見定める最も簡単なチェック方法をお教えいたしましょう。
 「させていただきます」これ実は簡略系です。省かれている言葉があるのです。それは「喜び」です。本来「喜んでさせていただきます」と言うところが約められているのです。すなわち「させていただく」の主語は、「私」ではなく「喜び」なのです。喜びが主語なのです。「私」が「する」のではなく、「喜び」が「させていただく」から無我です。喜びがあるかどうか、それが「する」と「させていただく」を分かつのです。もしわずかでも、心が騒ついたり、ささくれ立つようなら、そのときは「させていただく」のではなく「してやっている」我の塊なのです。
 辛抱も然り、「する」のではなく「させていただく」のです。俺が、私が辛いというのでは、「する辛抱」あるいは、辛さにつきまとわれて「させられている辛抱」のどちらかです。辛抱とておかげを受けなければとても出来るものではありません。必ずおかげをいただくには、この辛さを嫌だ早く逃れたいとただおかげを待っているだけの辛抱(辛抱信心)ではいけません。辛抱できるそのことがすでにおかげをいただいているのだと気づくと、「信心辛抱」すなわち辛抱も喜んでさせていただける心になり、その喜びの光に照らされるように、今まで気づかなかったことにも喜びが広がっていくのです。
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