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扉絵集



2018年1月号(No.793)
ご都合お繰り合わせ
教会長

 伊勢教会開教百十一年、算用数字で表すと111、初心に立ち返るとともに、新たな一歩を踏み出す年にしたいと願っています。
 何事も万事にご都合お繰り合わせをいただかねばなりませんが、ともすれば、それがただ「自分に都合よく行きますように」という願い方になってはいないでしょうか。それが悪いとは言えませんが、「信心する人は自分のことしか考えない」と人の目に映り、「だから自分は信心などしない」という人を知らず知らず拵えるようでは、神様に申し訳ないことです。
 世の中を見渡せば、信心しなくとも幸せそうな人がいます。それなら神様抜きで好きなようにした方が得だし楽ではないかということになります。なにも神様にお願いなどしなくても、いつでもどこでも自由勝手にできるのですから。
 人は「ほら、神様に願わずともできたじゃないか」と言うかもしれません。確かに、神様抜きでもできてしまうのです。ただ、人間だけでやることは必ずどこかに無理がきます。無理があったぶん、神へは無礼をしたことになります。たとえば、体に無理を強いるのは、神様から授かった自分の体に借金するようなものです。借りすぎて体を壊したり、一人では返せなくなったりしたら大ごとです。
 ご都合お繰り合わせのお願いは、ただ自分の都合の良いように、ではなく、「神様にご無礼をせずにすみますよう、ご都合お繰り合わせをお願いします」と願うのが、ほんとうの信心であると思います。それは神様のご機感にも適います。その時は思い通りの結果がでなくても、やがて無理なくご無礼なく成就して、後々万事安心のおかげとなっていくからです。
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