TOPページ



タイトル


インデックス

巻頭言

扉絵集



2017年9月号(No.789)
幸せの棒
教会長


 「『辛い』という字に一を足せば『幸せ』になる」と、皆さんもどこかで聞いたことがあるかと思います。実際のところ、幸は手かせ、辛は鋭い刃物の象形文字で、語源的な繋がりはないのですが、それにしては実感に訴えてくるものがあります。
 金光大神も辛抱と幸せの関係を次のように説いておられます。
「何事も辛抱が大切である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。車でも心棒が弱ったり折れたりしたら、車が回らない、辛抱をしないで幸せを得た者は、あまりない。(中略)信心するにも辛抱が大切である。その証拠には、神殿のお扉を開いてみよ。ご幣か、み鏡の他は何もない。ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神からおかげが出ると思わないで、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ」
 いみじくも辛抱と心棒を掛けて喩えておられますが、さて、信心の心棒という棒も、これを縦の棒と見るか、横の棒と見るか、それによって生き方までもが大きく変わっていくように思うのです。
 神からおかげが出るとすれば、人間は神様にただぶら下がっていればいいだけの縦棒の信心になります。それでいて縋りきるのでもなく、おかげを貰えば貰った途端、無ければ無いでさっさと降りてしまうのです。
 横棒の信心とは、辛いという字が一本の横棒で幸せに変わるように、辛くても一心の願いで神様に向かい、どこまでもご気感にかなうありかたに改める稽古をしていく信心です。こちらの心棒は神様が一緒に担いでくれるので、軽くて続きやすいのです。
to Top


TOP | 伊勢教会について | 教会誌-薫風 | ライブラリ | ひろば | リンク

Copylight (C) Konko Church of ISE. All rights reserved.