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扉絵集



2017年8月号(No.788)
AIと愛
教会長


 連勝記録で一躍時の人となった将棋の藤井聡太四段は、AI(人工知能)時代の申し子とも呼ばれる。堅実かつ巧みな棋力に加えて、コンピュータの将棋ソフトを研究した、定跡で計れない戦術からつけられた異名であろう。いまや人工知能は格段の進化を遂げ、人間以上になってきたようです。ただ、AIの指し手は高いレベルのプロなら全く思いつかないというわけではないそうです。ではなぜ指せないのかというと、人間には、AIとは違い、恐怖心があるからだというのです。AIの不可解な影に怯え、打つべき一手が指せなくなるのです。藤井四段の対戦相手も同じような感覚を覚えたのかもしれません。
 頭では解っているけれど、怖くてできない。さて、これは信心に取り組む私たちにとっても、誰もが身に覚えのあるところではないでしょうか。思いもしなかった難儀な出来事に直面すると、普段は偉そうにしていても、迷ったり、何かの祟りか罰ではないかと怯えたりする人間にとって、神はAIのようにただ不可解な存在なのでしょうか。心配は神に預けて信心すればいいと、頭では分かっているのに、怖くてそのゾーンに踏み込めない、自分の知識や常識を超えられないのです。心配する心で信心するという極上の一手を指さず、信心する心を使って心配をしているようでは、神様という最強の駒を難儀に取られてしまうようなものです。
 「神量らいは奇しくて人の思いぞ及ばざる」
 感情も愛も持たないAIは人間にとって不可解な存在ですが、神の愛(AI)はそれ以上に量り知れません。しかし必ずよいようにしてくださるのです。皆様には、神様のお智慧を頂かれ、怖れず怯まず、信心の対局に連戦連勝のおかげを蒙られますよう、願って止みません。
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