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扉絵集



2017年4月号(No.784)
御神号で開け
教会長

 現会堂になって、白亜の神殿に天地書附が真っ先に目に飛び込んできますが、旧広前のまだ御御簾が掛けられていた当時、お書附は奥にひっそり掲げられていたと記憶します。
 幼少期の私は、それを指差しては両親や祖父母らにこう尋ねたものです。
 「『生神金光大神』『天地金乃神』って二つ神さんがあるけど、どちらに頼んだらええの?」
 その度に教えてくれてはいたのでしょうが、どこか曖昧模糊としたまま、気がついたら私が、同じ質問を受けるようになっていました。
 神のおかげは誰でもが受けているに違いないのですが、天地金乃神様のおかげは他の神とはやはり何かが違う、ということでなければ、なにもわざわざ金光教の教会に参らなくてもよいのです。
 天地金乃神様が「神からも人間からも両方の恩人は金光大神である。金光大神、と頼んでおけばよい」といえば、金光様は、「今、神様があのように仰せられたが、私は神様の番人のようなものであるから、私に頼んでもおかげはいただけはしない。どうであろうとも、天地金乃神様、と一心にすがれよ」と仰せられる。
 まことに分かりづらいですが、最後の最後で、
 「金光大神はあのように言うが、金光大神にすがっていればよい。まさかの折には、天地金乃神、と言うにはおよばない。金光大神助けてくれ、と言えば、すぐにおかげを授けてやる」
 このお知らせに至っては、何も申し立てをしておられない。ここが勘所であろうと思う。
 子供から大人まで、ドラえもんの「どこでもドア」は広く知られますが、「金光大神」の御神号は天地金乃神に直結するあのドアのように、唱えれば天地金乃神ここに現れ、難儀な氏子が無条件に救われる道開かれる、この御名を拡めるだけがわれらに出来ぬはずがない。
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