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扉絵集



2017年3月号(No.783)
前輪と後輪
教会長

 自動車に乗り込むとき、車の周囲や下廻りを確認するよう、教習所で指導を受けます。実際にこれを欠かさず行う人は殆ど見かけませんし、無意識にできるまで習慣化しても意味がないのですが、目の前のメガネすらよく壁にぶつけるような私は、車のサイズ感が曖昧な時は、一回り歩くことにしています。
 車の運転は、前方だけでなく背後や左右両脇、死角にも注意を払わねばなりません。車は道路を走るので、全幅は道幅以上にできませんが、全長は車種によってかなり差があります。大型になるにつれ前輪と後輪の間隔が広くなるのですから、ドライバーはそれを意識して、狭い道や急カーブを通らねばなりません。
 しかし、もしも車体の大きさが全く知れない車だったらどうなるでしょうか。細い道、曲がりくねった道をうまく通れるでしょうか。たとえ前輪が通過できても、後輪がついて来れないことには、脱輪するか乗り上げて走行不能の事態に陥ってしまうでしょう。
 なんと私たちはいのちの大きさも知りません。このいのちは自分ひとりでなく、家族親族、祖先の御霊と共にある大きな乗り物ととらえると、いのちを運ぶ前輪と後輪両方の大切さを考えないわけにはいきません。
 前進もバックも、車が進むべきラインをイメージするのが大切です。いうなれば、前輪が「いまを生きる願い」で、後輪は「自身と親先祖のめぐり」を自覚することなのです。この両輪で大地をしっかと踏みしめれば、脱輪やスリップを起こさないばかりか、曲がれない道も混乱なく切り返しができます。一心の願いと、めぐりのお詫びと改まり、どちらも欠けぬよう、信心のハンドルを離さず、先を楽しみ、共に駆け抜けようではありませんか。道に刻まれた先人の轍を辿りつつも、あらたな道を開くのです。
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