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巻頭言

扉絵集



2017年2月号(No.782)
心は幸せのイメージセンサー
教会長

 みなさんがいまお手持ちのカメラは殆どがデジタルカメラだと思います。技術の進歩はすさまじく、十年前には上位機種で六百万画素程度だったのが今では二千万画素以上もあたりまえになりました。ただ、プロのカメラマンに話を聞くと、画素が多いだけで高画質な撮影はできないといいます。小型軽量化やコストカットで、わずか数ミリの撮像素子(イメージセンサー)の基板上に、一千万画素なら一千万個の受光素子(フォトダイオード)が並んでいるのです。例えばとても小さな紙に風景画を描くことを想像してください。大きな画用紙に描くより絵の具の量は格段に減ってしまいます。それと同じで取り込む光の量が少なくなるのでおのずと明暗差の幅が小さくなります。そのため明るい部分が抜けてしまう「白飛び」や、暗い部分が真っ暗になってしまう「黒つぶれ」といった現象が起きやすくなるのです。何千万という画素を小さい撮像素子に詰め込むには無理が生じます。カメラに大切なのはレンズと撮像素子の大きさですが、それらを追求すれば価格は高くなります。要はバランスなのですが、大抵の人は高画素=高品質と思い込んでしまうのです。
 大きい撮像素子は、@表現力豊かな美しい画像が撮れる。A暗いところや夜景でもよく撮れる。B綺麗にぼかせる、という三つの利点があります。この仕組み、どこか私たちの心の仕組みとも似ていませんか。心はいわば「幸せのイメージセンサー」であり、大きければ大きいほど取り込める光の量「神のおかげ」も増える道理です。ところがこれが小さくなると、せっかく手にした大きな幸せも幸せと映らない「おかげの白飛び」や、喜びが足りず難儀に負けてしまう「おかげの黒つぶれ」を生じたり、善悪、損得、好き嫌いがはっきりしすぎて、争いを起こしやすくなります。
 私たちの命のシャッター速度はみな人それぞれですが、いつかは必ず切り終えるのです。その時、美しい人生の景色が撮れていてほしい、そう願っています。
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