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扉絵集



2016年12月号(No.780)
教会に棲むくも
教会長

 教会新築からまだ日も浅い頃、三階の教職舎で私は一匹の蜘蛛を見つけた。ところが何か様子がおかしい。見ると白色の塊のようなものを抱えている。突然、それがはじけ綿埃のようなものが四方八方に散らばっていった。それは百匹はいただろう蜘蛛の子たち。「蜘蛛の子を散らすように」という諺は私にとって真実となった。もはや捕獲は絶望的と悟り途方に暮れたあの日から数年、その子孫なのだろうか、今年はやたらと蜘蛛が多い。殆どは小さなものだが二、三十匹は捕まえただろうか。もちろん外へ逃がしてやっているが、もしかしたら戻ってきたのもいるかもしれない。
 「願う心は神に届くものである。天地金乃神は、くもが糸を世界中に張ったのと同じことである。糸にとんぼがかかればぴりぴりと動いて、くもが出てくる。神も同じことで、空気の中にずっと神の道がついているから、どれほど離れていても、拝めばそれが神に届く」
 ここではくもは神の譬え、糸でつくられた巣は生神金光大神御取次のはたらきを示すのは明らかだが、とんぼについてはあまり深く考えてみたことはなかった。
 最近、アメリカの次期大統領ドナルド・トランプ氏の名言を幾つか知った。それはよく報じられた暴言よりずっと役に立つものだった。
 ‐問題はチャンスになるかもしれない。物事に別の名前をつけたら、それに対する姿勢は驚くほど変わる。‐
 糸にかかるとんぼ、それは「願い」だ。起きてくる問題に対して、これは困ったことだとか心配であるとかと名前をつけているのは結局は自分自身なのだから、視点を変えて「この問題をとおして神様のお役に立つ氏子になれますように、そのためにどうぞ…」と願っていくと、神様がたちまちお出ましになり、何事もおかげにしてくださるのだ。
 せっかく教会に住まわせてもらいながら、小さいくもにばかり気を取られ、目に見えない大きなくもに捕らえられないようではほんとうに勿体ない。
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