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扉絵集



2016年8月号(No.776)
騙されたと思って
教会長

 「おかげ」っていうのは、いうなれば神様だけがつくことのできる嘘=B神様にしかつくことのできない、神様だけに許された嘘みたいなものですよと、この頃よくお話しします。
 嘘とは人聞きの悪いことをいうと思われるかもしれません。ではお尋ねします。ほんとうの難儀と嘘のようなおかげ、人生であなたがどちらか一つしか選べないとしたら、どちらを望まれますか。
 神の氏子である人間は、大切な人を傷つけまいと、時々善意の嘘をつきます。神様だって、かわいい氏子を助けるためになら嘘くらいつけます。「あんなに痛かったのが嘘のように引きました」と人が助かれば何よりのお喜び。人間はそんなに強くはないですから、ほんものの痛みより、たとえ嘘でも治る方がいいのです。ほんとうの難儀に出遭うより、嘘のようなおかげに包まれたほうが人は幸いです。神様を信心するには、まさに「騙されたと思って」してみる、それしかないのです。
 そうすると、いわゆる難儀の見方や受け止め方にも変化が生まれてきます。身の上に起きてくる様々な問題も、見かけ上は難儀のようでも、実はそうではないのだと思えるようになる。そのことをとおして大事なことを気づかせ、成長に導いてくださるばかりか、先々で起きてくる問題への備えまでしてくださっているのだと解ってきます。難儀じゃないんですね。解ったら、ちゃんとおかげにしてくださる、だから難はみかげだとおっしゃるわけです。騙された気になって打ち込めば、みんなまことのおかげにしていただくのです。
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