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扉絵集



2016年7月号(No.775)
残念な人
教会長

 親教会からの帰り道、同乗の先生を送る道すがら、ひと気の少ない道を走っていた時のこと、前方に一台のフォークリフト車が作業中なのが見えた。
 危険回避のために「ちょっと通りますよ」的な軽めのクラクションを鳴らした。するとリフトを運転していた若いおにいさんはやにわに私たちを睨みつけて凄むと、あろうことか手の甲を向けて中指を立てる、いわゆる欧米風の最も卑猥いで侮蔑的な仕草と言われるジェスチャーをしてきたのであった。
 映画の中などではちょくちょく見かける仕草なのだが、実際に自分に向けられた記憶というのは、あまりない。呆気にとられたが、あのおにいさんの態度はどう見ても、ふだん車を運転する時も、ジャマな車をクラクションで蹴散らかすようにして走っているのだろうなと想像するのは難くなかった。なんだか残念でならなかった。
 日頃、そういう心でクラクションを鳴らしまくっているものだから、逆に鳴らされる立場になると、相手がそういう扱いを自分にしているようにしか思えないのかもしれない。全くこちらにその意図はないのだけれど、彼の心のあり方が、私たちのクラクションをそういう音に変えたのだろうか。
 翻ってわが身わが家庭を省みると、私たちだってお互い似たようなことを日々していないとも限らないとは思う。私の心はほんとうに自由なのだろうか、窮屈な牢獄に閉じ込めてはいないだろうか。あながちあのおにいさんを哀れんでばかりもいられない気がするのだ。この世界は私たちの心の投影なのだから、『おかげを受けられるか受けられないかはわが心にあり。わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる』ことを今一度肝に銘じたい。
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