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扉絵集



2016年4月号(No.772)
ここがその場所である限り
副教会長

 ゴスペル(Gospel)とゴシップ(Gossip)という言葉があります。前者はキリスト教プロテスタント系の宗教音楽で知られ、「神のことば」「福音」を意味するのに対し、後者は週刊誌やワイドショーでお馴染みの「噂話」のことです。聖と俗、あまりに両極端ですが、実はこの二つ、語源は同じなのだそうです。要するに、人の関心が神に向かえばゴスペルになり、人に向けられるとゴシップになるということでしょうか。
 時には神すらもゴシップの対象にもなるのものです。教祖様もそうでした。謂れ無き誹謗中傷を受けられましたが「世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる」との思召しのままに、人を責めず神に心を向けるあり方で道を開かれたのです。
 昨今は芸能界、スポーツ界、政界にとゴシップには事欠きませんが、ついつい誰がどうしたと人にばかり心が向き、憶測にふけってしまうのは、それこそ下衆の勘ぐりというものです。
 時々想像してみるのです。騒動の渦中にいる彼らが心の安らぎを求めてここに来るようなことがないとは限らないのだと。あり得ないのかもしれないけれど、この場所が人の助かる神の広前であろうとする限り、誰をも無条件に受け容れる準備を怠ることは許されていないのだと気づくと、おのずと背筋が伸びる思いになるのです。彼らに限らず同じような過ちを犯す人間など、世間に幾らでもいるのだし、私も含めて誰もその例外ではないのです。いざその状況になって「あなたの助かりを願っています」と慌てて態度を変えるようなことでは、人も神も助かりません。
 誰が悪く言われるのも嬉しくないとの親神様の御ことばは、今の世にあってまさしく福音となるものです。その広まりを願って、天地金乃神大祭に集い合いましょう。
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