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巻頭言

扉絵集



2018年7月号(No.799)
未来の御礼
高阪健太郎

 私は疑い深いもので、よろこぶ心からおかげが生まれると聞いても、なかなか合点がいかないのでした。「おかげをもらった後なら喜べるんだけどな」といった具合でした。
 でも後になって理解してみれば、簡単な足し算のようなものなのです。
 顧みれば、このような私でもこれまで数え切れないほどの大みかげを頂いてきた事実があります。しかし、そのことに足るだけの感謝と御礼ができていたのかというと、胸を張るどころか、おかげの持ち逃げをしているような恥ずかしいことでした。喜びも束の間、次の欲に目を奪われ、先の心配をし、もっとこうだったらと不足すら言ってきたからです。
 さて、こういう私が、厚かましくも今ここからのことを願っているのです。しかも、実現した暁には御礼の申し上げようもないような、たいへんなおかげを神様にお願いしているのです。叶ったらどれだけ御礼を申し上げても足りないようなことを願っておきながら、なお心配や不足に心が囚われているのでは、例えば借金の返済日が近づいているのに、積み立てるどころか他所から借りたり、浪費を重ねているようなものだと気づかされたのです。
 天地の親神様が差し向けてくださったお結界で願ったことは、願ったその時から神様がお働きくださります。そのことを疑わず、必ずおかげをいただくのだと本気で願い、「その時にはどれだけの御礼を申し上げても足りないから前もって御礼を申します。それでも足りませんが」というのが誠実さというものです。「その時あるかどうかわからんけど、まぁ一つお願いします。もし足らんかったらお詫びして、後で返しますから」ではあまりに不誠実というものです。感謝はおかげの代償物ではない。必ずおかげをいただきますと神様と約束した、未来の御礼です。
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