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2018年5月号(No.797)
信心の書き順
阪健太郎


 最近驚いたことがあります。それは漢字の書き順のことです。
 書き順というのは昔から決まったものだと思っていましたが、一九五八年頃までは書き順の概念そのものがなかったようで、そのため教育を受けた時代などで書き順が異なるということです。例えば博士の「博」の字は、私は右上の点を最後に打つように習いましたが、今は上の方から先に書いていくのだそうです。「必」という字も三通りの書き順があるそうですし、同じ字でも楷書と行書で異なる場合もあるというのです。
 要は書き順というのはバランス良くきれいに見せるためのもので、文字を覚えるためには必要ないのです。順序には意味がない、これは長年書き順コンプレックスを抱えていた私には目からうろこが落ちる思いがしました。
 さて、そこで信心についても一度疑ってみることにしました。信心に書き順があるとすれば、お礼・お詫び・お願いの順になることは理想かもしれません。でも、字でも書き順ばかり厳しく指導されたら、誰でもうんざりしてしまいます。字を覚え書ける喜び、その字を使って人に何かを伝えることこそが大事なのです。信心も教えを学び人を祈れる私にならせていただくことに意味があります。あと一歩進んで人に読みやすく伝わる字、手本にしたくなるような字が書けるには、バランスの取れた字であることが必要だということです。確かに「響」という字など、上の郷の部分と下の音の部分のバランスは、やはりそれなりの順を追わないとうまく書けないものです。
 ある先師は「お礼六、お詫び三、お願い一」と教えられました。勝手なお願いばかりで感謝も改まりもない信心では、神様の御心に響かず、人の心にも届きません。お取次をいただくことで信心のバランスが整うのです。
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