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前号では、お互いの信仰履歴、すなわち(おかげ)の履歴を振り返ってみることの大切さについて述べました。み教えにあるとおり、「信心しておかげを受ける」というのが本筋でありましょうが、おかげを受けてこその信心であることも、また言えるのではありませんか。 様々な難儀から救われる、という事実(おかげ)があって信心が始まるというのが大方のケースでしょう。また一方では、おかげをおかげとして受け止めるには、信心が大切だということでもあります。み教えに「信心せいでもおかげはやってある」とあります。殊更に神仏を信じていなくても、すでにおかげの中に生かされて在る。ということでありますから、信心するかしないかは別問題です。しかし、信心しませんとおかげに気づくのはむつかしいでしょう。 「お供えとおかげはつきものでない」というみ教えがありますが、私は常々、(信心とおかげはつきものである)と信じています。これは裏を返せば(おかげをいただく信心をさせていただく)ということでもあります。 “命のバトンは信心から“の『信心』はそのような信心であり、そのバトンを次世代に渡していきたいと願っております。 さて、『命のバトンは信心から』も今回100号を迎えました。なんと長い間続けさせていただいたものかと、読者の皆様に感謝申し上げる次第です。『近藤さん、話は聞くばかりが能ではない。少しは腹から練りだしておかげを受けるがよい。』という近藤藤守師に対する教祖様のみ教えに力を得て、微力ながら毎月毎月原稿をお届けすることが出来ました。今号をもって筆を擱くにあたり重ねて厚く御礼申し上げます。
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