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巻頭言

扉絵集



輔教 岡田典明
命のバトンは信心から-99-

 信奉者にとっての自分史とは、すなわち信仰履歴そのものである。と、常々思っている私は、信心を伝えて下さった方々の、信心の在りよう、教導の内容が齢を重ねるにつれ、鮮明に思い出されるのです。信心のバトンが私自身に確実に手渡された日のことが、その折の情景とともに浮かんでくるのです。このことは私ばかりではなく、皆さんもご同様の思いを持たれているのではありませんか。
 あの時父や母がこう言ったとか、教会の先生にこのようにお取次ぎし、この様にみ教えを頂いたとか、……。
 教祖様のみ教えに「信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。」があります。自己の信仰履歴を確認するというのは、別の表現をしますならば、おかげの履歴を確認するということではないかと思うのです。私どもはともすれば目先のおかげに汲々とするあまり、おかげを頂いてきた自身の履歴に思いを致すことが、ともすれば薄いようです。
 「母ちゃんはあんた達に何にも残してやれん、ただ信心だけは残してやりたい。…。」私たち三人兄弟に、病弱で、勤めに出ることもできない母が、時に真剣な面持ちで話したことを忘れることはできません。家事育児が思うようにできない健康状態にあった母が、すがるべきは神様、信心のバトンだけは渡したい、との一念から発せられた言葉であったということが、自身の信仰履歴を振り返る今、私たちにとってかけがえのない、おかげの中のおかげであったのだと受け取らせていただいています。
 終生、ご神前で長時間ご祈念していた母の後ろ姿を思い出してみますと、伝えたき、受け継ぐべきことの多くがはっきりと浮かんでくるように思われます。
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