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扉絵集



岡田典明(在籍輔教)
命のバトンは信心から -87-

 み教えに「広大なおかげ、広大なおかげというが、おかげとは氏子めいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けてみよ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ」とあります。私は、このみ教えを読ませていただくたびに思い出すことがあります。前回に紹介いたしました欄間の師匠の言葉です。
 「良い作品を作ろうとしたら、良い刃物がいりまんなぁ。しかし、よい刃物を持っていても、砥石が悪いとあきまへん。砥石が悪いとなんぼ研いでも切れしまへん。砥石の面が曲がってたら、刃物も曲がるという理屈ですわな。初心の人は、研ぐときの刃物の面ばかり見てますが、見てもらいたいのは、砥石の方だ。私らは、刃物研ぐ前に砥石の表面を先ず研ぎますのや。これを砥石の『面直し』と言いますのや。刃物によって砥石は扱い方ひとつですぐに傷つき、なんぼでも曲がります。曲がったままの砥石で研いでますと、砥石の曲がりが刃物に映るということです。そやから、刃先を真っ直ぐに研ぎたいときには、砥石の表面も真直ぐでないといけません。正直なもんだ。真直ぐにしたいときには、真直ぐな心でないといけまへん。あせったり急いたりしたらすぐ曲がりですわ。」
 み教えと、わが師匠の言葉とをもう一度交互に読み直していただくと、なんとなく通じるものがあるように感じられませんか。おかげとは氏子めいめいの真に映る影とみ教えくださっており、また影は形にそうものとも言われますが、刃物は砥石にそうものと考えますと、真によく理解できるように思うのです。
 仕事にかかるまえに、信心の師匠である教祖様のこのみ教えと、欄間の師匠のこの言葉を思い出しながら、一心不乱に砥石を研ぐことに努めています。そしてそれは同時に真っ平らな心を研ぎ出していることにつながっているように思えるのです。
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