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在籍輔教 岡田典明
命のバトンは信心から -86-

 三十三歳の時、高校の教師をしながら大阪一、いや日本一といわれた欄間師に弟子入りしてから、やがて四十年近くになります。欄間といっても、最近のお家ではあまり見かけなくなり、よほどの旧家でないとお目にかかれませんから、話が通じず、説明に苦労するようなことです。しかし、伝統工法による日本建築には、床の間や違い棚などと同様、なくてはならないものです。
 私の師匠は、大阪や東京の有名デパートで毎年、新作の展示会を開き、生涯に多くの弟子を育てたことでも知られる斯界の宝的存在でした。カーター大統領が来日した折、アメリカに対するお土産として、師匠の発明になる額欄間(壁掛けが可能な、額縁入りの欄間)を外務省からの依頼で製作されるなど、幾多の社会的貢献もされた方でした。
 「弟子をとるとその人の一生を引き受ける責任があるので、最近はみな断っています。……えっ、あなたは学校の先生ですか。生活の心配はないんですな。…そんなら何でもよろしい、作品を持って来て下さい。」初対面の折の師匠との会話でした。そして二度目には約束どうり、自作の木彫を持参した私に向かって、「よう出来てまんなぁ…仕上げの砥石をもうちょっと硬めのものにしはったら、一層よろしおまんな。…。」正直この言葉に驚きました。私は彫り上げた作品は持っていきましたが、それを彫った刃物を持っていたわけではなく、ましてや、刃物を研いだ砥石を持っていくなどありえません。作品を見て、砥石の種類まで言い当てる、師匠の眼力に強い感動を覚えたことは今もって忘れ得ない、わが一生の思い出です。教祖様と直信の方々との出会いもこのようなものではなかったかと、時々そんな思いが致します。
「…そんなら明日から来なはるか…。」
 欄間師「川崎聖鳳」先生最後の弟子が誕生した瞬間でした。以来、今日まで、大友教会会堂正面の、特大欄間、同茶室の欄間(この二点は、日本橋教会の先代、畑ト先生たっての希望で、見ていただいた。)また大津親教会には、五点、合わせて十面の欄間を修めさせていただき、金沢教会には、古材を利用した、諸道具を製作、奉納させていただく機会を得たことは、望外の喜びでした。
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