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輔教 岡田典明
命のバトンは信心から-98-

 私どもにとって自分史とは、信仰履歴を意味するものではありませんかと、述べてまいりました。教祖様の「御覚書」がそうであったように、教祖様の自分史は、すなわち教祖様の信仰履歴そのものであったと、とらえることが出来るのではないでしょうか。
 そうといたしますと、ご信心をいただく我々にとっても、自分史を記録する場合、その中核に自身の信仰履歴を据えなければなりません。私事で恐縮ですが、私の場合は、物心ついた時にはお道の信心の中にお育ていただいていたわけですから、自分史と信仰履歴は同時に始まったといえます。
 しかし、ここで大切なことは、これは自覚的に始まった歴史ではなく、たまたまそのような環境の中に生を受けたというのが、正直な理由でありましょう。私の自分史の前には、皆さんと同様、悠久の過去の歴史があり、それが連続して今日の自分に繋がっているわけです。それはまさに「命のバトン」と表現するのが適当かと思います。命のバトンとともに大切なのが、信心のバトンであります。信心のバトンがあればこそ、命のバトンの持つ意味や尊さがより自覚されるのではないでしょうか。
 さて、信仰履歴に話を戻しますと、私の場合、大津教会の初代、高阪松之助師のご信心に繋がり、ちょうど五代目に当たります。開教百三十年のお年柄を迎え、改めてその意味を自分なりに考えてみます時、初代と命が繋がるだけでなく、信心が繋がっていることの有難さが、日を追って確かなものと感じられ、自身の信仰履歴の元の所に、伝えに伝えてくださった、それぞれの方の信心の履歴があってのことと思わされ、お礼申さずにはおれないのであります。
 信心のバトンを渡してくださった方あってのお互いでありますことを、改めて確認したいものです。
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