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岡田典明(在籍輔教)
命のバトンは信心から -83-

 さて、輔教研修会での話の続きですが、「最近色々な場面で想定外ということがいわれますが、これを別の言葉に置き換えてみますと、不確定といってもよく、したがって今日の社会は、不確定社会と表現できるのでは…。毎日生きておること自体が想定外の連続であり、明日どうなるのか誰も想定することはできません。確たる保証がないのであります。」と申しました。このことに関連して次のような具体例を紹介しました。
 「夜遅く塾通いの子供たちと乗合すことがあります。以前は彼らの集団が乗ってくると、なかなかにぎやかで、時にはうるさいくらいでしたが、今はそうではありません。ほとんど全員、黙々とゲームに興じているのです。ポケベルから携帯、今ではスマートホンと、コミュニケーションの手段が、猛スピードで変化しています。途中で降りていく子供も、見送る子供も、チラッと顔を見合わせ、お互いゲームをしながら、短い挨拶を交わしています。じつに静かなものです。もっともこの情景は子供ばかりではありません、乗客の大人も、大抵携帯の画面とにらめっこ状態ですから、見方によっては車両ごと一種異様な風景が現出しているわけです。大人はともかく、子供たちの在り様は実に心配です。これで本当に自分の意思を伝えたり、他人の思いをくみ取ったりできるのだろうかと心配になります。人間関係においても、想定外の状況が進行しはしまいかと。いじめや不登校などの現状を考えると、ついそのように思うのです。」と、日ごろから気になっていることを皆さんに問いかけてみました。
 スマートホンに代表されるように、コミュニケーションの手段が、最先端機器に移るようになるのは、時代の進歩の象徴であり、もはやこの流れは誰も止められません。しかし、お互い顔の見えない情報の交換ほど不確かで危ういものはありません。教育、宗教、医療の世界で
も肝心なところは、師匠から弟子への「面授」であったり、医師による触診による効果が大きいのです。
 「人が人を助けるのが人間である」というみ教えの確かなところを、コンピューターと共に考えていきたいものです。
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