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扉絵集



岡田典明(在籍補教)
命のバトンは信心から -80-

 毎年巡ってくる七月十四日は、私にとって特別な感慨をいだかせる事情がある日です。
 それはどういうことかと申しますと、以前65号で述べました、満州からの引き揚げのことです。私事にわたって恐縮ですが、今回はそのことを取り上げさせてもらいたいと思います。私が両親に連れられて満州の奉天(現瀋陽)から命からがら引き揚げたのは、昭和二十一年の七月のことでした。従って今年は丁度七十年の記念の年に当たります。
 終戦後のほぼ一年間、旧ソ連軍の暴行・略奪の恐怖から逃れ、内地に帰還が決まった時の両親の喜びは、いかばかりであったかと想像しますと、よくも帰れたものと今さらながら、神様と両親に感謝申さずにはおれません。この一年間にどれだけ多くの人々が内地に帰ることを夢見ながら亡くなっていかれたことか、いやそれだけではありません。引き揚げの途中にも亡くなられた方があったことも事実です。私たちの引き揚げは、奉天から葫蘆島(渤海湾の一番奥) までは無蓋貨車(屋根のない車両)で移動し、葫蘆島からはアメリカ軍の上陸用舟艇母艦(LST)で黄海を渡り、九州の博多港に上陸、汽車を乗り継いで父の実家である四日市市の河原田まで帰ったのですが、その日が七月十四日だったのです。
 今年の七月の九日・十日、博多港の引き揚げ桟橋からJRの河原田駅まで、鈍行を乗り継ぎ、引き揚げの追体験をしてまいりました。途中、父が青春時代の一時期を過ごした小倉を訪ねました。一駅一駅過ぎるたびに、クーラーもポカリスエットもない中をどんな思いで私を連れて故郷を目指したのか、その折のことが偲ばれてなりませんでした。七月十四日には、お墓参りと教会へのお礼参拝をさせていただきましたが、み教えに『死んで、もの言わぬようになってから、ああもしてあげておけばよかった。こうもしてあげておけばよかったと、残り多いことが多かろうが。親孝行は親の達者の間にしておかねばならず、信心は生きておるうちに早うしておかねば、あとの祭りになるぞ。』とありますが、父母にお礼を申す、あとの祭りをお仕えしたような思いでした。
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