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扉絵集



岡田典明(在籍補教)
命のバトンは信心から -78-

 前号で紹介しました、本居宣長や西行法師の墓事情は、いずれも今日でいう樹木葬の代表例として捉えることが出来ますが、宣長の桜にかける思いは、半端なものではありません。遺言で「…山桜の随分花の宜しき木を吟味いたし…もし枯れ候はば植え替え申すべく候」と、枯れた場合の措置にまで言及していますから驚きですね。
 松阪市郊外にある山室妙楽寺にあるお墓には、自筆の「本居宣長之奥墓」と刻まれた墓石があり、そこに遺体がこれまた細かい指示どおりに納められています。一方自宅には、生前常に使っていた、桜の木で作られた笏には、「秋津彦美豆桜根大人」と神道式の諡を記し、霊碑として仕立てることを命じていますから、桜へのこだわりが尋常でなかったことは明らかです。
 西行にも「仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とむらはば」という歌があり、自分の死後、桜を供花として手向けるように望んでいます。
 このような例からわかりますことは、死に際し、遺言することは、死の準備ではなく、むしろ死後も生きるための準備のように思えます。残された者も、遺言の内容を出来るだけかなえようと努力します。追善供養というのはそこから生じた行為でしょう。先祖に代わって子孫が先祖のために行う。先祖供養そのものとも解釈できますね。それによって先祖が救われるとされるのですが、ここに興味深い文章を紹介しましょう。
 「日本人を悩ますことの一つは、地獄という獄舎は二度と開かれない場所で、そこを逃れる道はないと私たちが教えていることです。彼らは亡くなった子供や両親や親類の悲しい運命を涙ながらに顧みて、永遠に不幸な死者たちを祈りによって救う道、あるいはその希望があるか問います。これに対し私は、その道も希望もないと答えるのですが、…」(フランシスコ・ザビエルの手紙より)
 カトリックの教えに追善の方法はありませんから、子孫の信心によって先祖が救われることはないのです。
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