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岡田典明(在籍補教)
命のバトンは信心から -75-

 昨今の宗教事情に関する話題として注目を集めているのがお墓の問題です。このことは、以前にすでに述べましたので、記憶されている方も多いかと思いますが、ここへきて、その変化の速度には驚かされます。散骨葬や樹木葬などはかなり前から報告されてされていましたし、遠隔地のお墓を、近くに遷すいわゆる改葬墓も増加しているのも事実です。しかしながらこれらのケースは形こそ違うものの、お墓を伴っています。散骨葬と言えども、全てを散骨するのには抵抗があるのでしょう、お墓に納めたあと、その一部を散骨する例が多いようです。また、家族墓を持たず無縁墓地への納骨を希望する人々も、近年増加傾向にあるようですが、やはりお墓であることに変わりはありません。
 お墓の問題は、単にお墓だけの問題でないことは、今さらいうまでもありませんね。葬儀や、その後の供養、お道で申しましたら、式年祭に対する変化と関連しているわけです。葬儀や法事、年祭も随分変化してきております。その原因は色々ありましょう。家族制度の変質、都市への人口集中と地方の過疎化、高齢化と少子化など、複雑な要因が重なり合ってのことでしょう。こうした社会現象の大変化が、身内の死や先祖祭りへの意識に、かってない様相をもたらしたものと思われます。 
 お墓の問題は、大げさに聞こえるかもしれませんが、『死』の問題であるばかりではなく、同時にそれは『生』の問題でもあるのです。すなわち、我々一人ひとりにとって、人生いかに生きるかという、大命題に直結している問題ではありますまいか。
 教祖様のみ教えに、「御霊の祭りは大切にせよ。」「分家をすると、うちにはまつる御霊がないと十人のうち九人まで言うが、それは大きな間違いである。人にはみな先祖というものがある。押入れのはしにでも、先祖様と言ってまつらなければならない。」があります。
 御霊祭りをひかえる今日、改めてこのみ教えを頂き、我が生きる真の意味を考えていきたいと思います。
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