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岡田典明(在籍補教)
命のバトンは信心から -72-

 今回から、宗教、とりわけ信仰や信心にかかわる言葉のいわれについて紹介し、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
 皆さんも経験されていることかと思いますが、春のご大祭が終わりますと、教会長や信徒会の代表から、「…今日から秋のご大祭にむけて一層信心の稽古をさせていただきましょう。秋の大祭はもう始まっているのですから…。」という趣旨の話しが、各教会でされますね。若いころは正直言って、「えッ、もう秋の話し、」と、思ったことでしたが、皆さんはいかがですか。
 このことに関して、もう随分昔のことですが、ある教会の老先生が、「お祭りというのは、神様を待つからまつりと言うのだ、一日一日、神様がお出ましになる日を待たしていただく、そうしてお出迎えさしていただく日が祭りです。」とご教話くださいました。言葉どうりではありませんが、神を待つからまつり、という部分だけは間違いなく聞き取らしていただいたと思います。
 後年、いろいろ調べていくうちに、この考えが、その先生お一人のものだけではなく、有力な説であることがわかりました。以来、私自身も、日々神様を「待つ」思いを大切に大祭の日を迎えるようにしておるようなことであります。
 これと関連する興味深いことがあります。お正月の「門松」であります。今日、門松が立てられるお家は珍しくなりました。この門松でありますが、なぜ松かと申しますと、これがやはり、神様を待つにかけられているわけです。お正月というのは、本来、ご先祖のみ霊をお招きする行事でありましたから、暮れからその準備をしたわけです。松が歳神さまとご先祖様が帰ってこられる目印としての役割を担っていたわけです。そうして歳神さまがくださるものが、いわゆるお年玉であります。
 「もういくつ寝るとお正月…」というのは、子供ばかりの気持ちではありませんね。古くは大人も含めた、神様、ご先祖様を待つ思いが、門松という習俗を生み出し、今日に伝えられていることを理解したいものです。 
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