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扉絵集



岡田典明(在籍補教)
命のバトンは信心から -70-

 終戦後の満州で起こった戦争の惨禍を紹介してまいりました。父母の体験談や、多くの記録から見えてくることは、前号で申しましたとおり、「戦争も平和も、人間がどう生きるか」にかかっています。戦争のさなかにも、
あるひと時、ある一瞬の平和があり、逆に平和な日常の中に、戦争につながる芽がある場合があります。終戦の日から引き揚げまでの、一年足らずの間、両親にとっては、一日一刻が、戦争と平和の繰り返しであり、まさに
息詰まる状況におかれたことがわかります。
 ソ連軍、八路軍(共産軍)、国民軍、暴徒による陣地の奪い合いが、連日連夜繰り返され、毎日支配地域が変わるなか、敗戦国民である日本人は、息を殺して逃げ回るしかなかったのです。殺人、暴行、略奪など、人間が犯
す全ての犯罪が一度に、しかも組織的に行われるのが戦争です。多くの人々が犠牲になり、七十年経った今も、ご遺骨の大部分は、無念の死を遂げた大地に眠っています。
 こうした状況の中で、生きて帰ることは、至難の業でありましょう、否、自らの業でどうこう出来るものではありません。それはまさに偶然のなす業としか言いようが無いように思います。生きるか死ぬかは偶然。と、言
わざるをえない状況の中でも、そう簡単にあきらめることが出来ないのが、生きている人間の本能です。そこに本当の祈りや願いが生まれてくるのではないでしょうか。
 遠藤誉さんのご両親は「自分のことは次にして、人の助かることを先にお願いせよ、そうすると、自分のことは神がよいようにしてくださる。」のみ教えどうり、周りの中国人、朝鮮人の幸せを第一に祈られ願われる生き
方を貫いておられた、そのような信心を頂いておられた。と、思わずにはおられません。
 戦後七十年、わが国では、戦争の悲劇が語られますが、他人の家に土足で上がりこんだに等しい、加害者の立場であったことも忘れてはなりますまい。
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