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岡田典明(在籍補教)
命のバトンは信心から -68-


 
 六月二十三日は、沖縄戦が終結した日で、毎年慰霊の催しがありますが、今年は戦後七十年という節目の年でもあり、特に注目を集めたように思います。二十万を超える犠牲者の約半数が民間人という、世界戦史上かってないほど、尊い命が失われました。第一次世界大戦あたりから、民間人が巻き込まれるケースが増え、戦争の性格が大きく変化しました
 戦場が兵士同士の戦いの場だけではなく、拡大、一般化したのです。米軍による大空襲、原子爆弾の使用などはその最たるものです。しかも戦争の犠牲はそれだけではありません。戦時中だけではなく、戦後にまで及ぶのです。
 戦中、戦後の区別なく、戦争の犠牲のすべてを、「戦災」と呼んでいいのではないでしょうか。前号で紹介しました遠藤誉さんの体験は、そうした戦災の実態をあますところなく我々に伝えてくれています。
 満州では八月十五日後も、民間人に対する殺人、暴行、略奪など、ありとあらゆる不法行為がソ連軍によって行われ、その上、国際法違反のシベリヤ抑留まで行われたことは、ご承知の通りです。六十万の抑留者の内、六万人を超える人々が、強制労働の結果、命を奪われていったのです。
 私の父は、軍の兵器工場に事務員として勤務しておりましたが、ソ連軍に、兵器、工作機械、軍事物資などのすべてを引き渡す要員として工場に残されたため、シベリヤ送りを免れたのでした。全く偶然のことであったと聞いております。非常事態に、運や偶然が伴うことはしばしばですが、「あれもおかげ、これもおかげ」と神様のお働きに気付くのは、ずっと後のことになります。
 満州の悲劇にくらべ四万人の民間人を無事に救い出し、北支派遣軍四十万と在留邦人三十五万人を日本に帰国させた将軍がいます。根本博陸軍中将です。彼は終戦後も邦人を保護、救出するのは軍の使命と考え、ソ連軍への武装解除に応じず、八月二十日を超えても目的達成のために、戦ったのです。上官の命令に背く重大な違反であり、天皇の命に反する逆賊の振る舞いをあえてした方です。
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