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在籍輔教 岡田典明
命のバトンは信心から -67-

 前回、遠藤誉さんの終戦後の体験について少し紹介いたしました。どうしてかと申しますと、両親と私の、親子三人の引き揚げ体験が、重なるからです。と、申しましても、遠藤さんのそれは、日本に引き揚げてこられたのが、何と昭和の二十八年というのですから、二十一年に帰国できた我々とは比較にならないほどのご苦労であったのです。
 ただ共通することは、自分たちの命や生活が、ほぼ他の力にゆだねられ、明日どころか、一分後でさえ予期できないという状況におかれたということです。戦争の悲劇は、戦闘の瞬間だけにあるのではなく、むしろ戦後にあると言ってもよく、それが敗戦であればなおさらのことです。昭和二十年八月十五日以降の満州の現実は、そのことを余すことなく物語っています。
 敗戦の混乱の中、どれだけ多くの人命が失われたことか、その中で遠藤さんご一家は生き残られたわけですが、ご一家を生かしめた理由があったのです。当時の中国に蔓延していた麻薬中毒者を助けたいとの一心で、解毒剤を発明したこと。金光教の熱心な信仰に裏打ちされた、人を助けずにはおれないという確固たる信念。製薬会社を経営するとき、まず中国人を第一に、次いで日本人より一段低いとみなされていた朝鮮人を、そして最後に日本人を雇うという、当時の日本企業ではありえない経営方針を採用されたのです。中国人を最上位においたのは、そこが中国であったからという、お父上のお考えだったそうです。さらに貧しい中国人や朝鮮人の社員を夜学に通わし、社員は家族として処遇したそうです。
「人は皆神の氏子」「人を軽う見な、軽う見たらおかげはなし」
「人が人を助けるのが人間である。」のみ教えを、自らの命をかけて実践されたのですが、そのことが絶体絶命のご一家の危機を何度も救うことになろうとは…。
 自分の子供同然にお世話した、中国や朝鮮の人々にご一家が救われたのです。
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