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扉絵集



在籍輔教 岡田典明
命のバトンは信心から -66-

 先の大戦で生きながらえたのは、実は「生かされた」のであって、生かされた命は、死に行かされた命の代わりでは、との思いがどうしても脳裏を去らないのです。終戦の前後から引き揚げまでのほぼ一年間、音信は不通であり、親子三人の生死は、不明の状態でしたから、内地で待つ親族の不安と焦燥はいかばかりであったかと思います。
 生死の不明の状況は、内地で待つ人々ばかりの問題ではありませんでした。実は満州にいた我々親子の現実でもあったわけです。どういうことかと申しますと、明日の命どころか、今日の生き死にそのことが、当の本人たちにとっても全く不明という意味です。何と過酷な日々であったかと思います。「日に日に生きるが信心なり」とのみ教えがありますが、一日一日を恐怖と欠乏のなかで過ごした両親にとって、神に祈ることは、本当に命懸けのことであったと想像しますし、この体験が後々の信心の基礎となり、強固なものにしたのではないかと思わせてもらっております。
 先に、生かされたと申しましたが、神に祈ったのは両親たちだけではありません、内地の皆さんもどれだけ祈って下さったことか。その祈りによって、神様に生かされたと実感できるのです。いくら感謝しても足りないものと、今もお礼申しているようなことであります。
 先日も関西福祉大学で教職員にたいし、講演をさせていただきましたが、その折、私の引き揚げの話とともに、遠藤誉さんのことにふれました。「卡子」(チャーズ)という本の著者で中国外交の専門家として現在もご活躍中の方です。「卡子」とは、大変難しい文字ですが、長春市を取り巻いていた二重の包囲網のことで、いったん出ると戻ることが出来ず、ほとんどの人がそこで餓死されたのですが、その死体累々たるところで、お父上は、祖先賛詞を唱えられたそうです。金光教の熱心なご信者で、人のお役に立ちたいとの思いで当時大陸で猛威を振るっていたアヘン中毒者のための、解毒剤を開発し、製造工場を経営しておられました。このご一家のご信心と、社会貢献が命を救うことになっていかれるのです。
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