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在籍輔教 岡田典明
命のバトンは信心から -65-

 今年は、戦後七十年、阪神・淡路大震災から二十年の節目の年にあたります。どちらもわが国にとって、忘れがたい歴史上の出来事であり、同時に、われわれ一人ひとりにとっても、改めてその内容と意味するところを考えていかなければならない年だと思います。
 私事で相済みませんが、私は七十年前の、昭和二十年四月一日に、旧満州国の奉天(現中国瀋陽)で生まれました。父(堯)と母(信子)は昭和十八年の暮れに結婚式を挙げましたが、父は満州から帰国中であったため、母一人の式であったそうです。現在では考えられないような話しですが、戦時中にはよくあったケースだったようです。
 しかしこれで驚いてはなりません。いったん父(先代教会長、高阪正太郎先生)と伊勢に帰った母は、数日後、帰国した父に会うため婚家に出向いたのですが、それが父と母が出合った最初でありました。
 昭和二十一年七月、親子三人、命からがら引き揚げるまでの話しはまたの機会にさせていただくとして、私が今も意識しないではおられないのが、私の誕生日です。もうお気付きの方もあろうかと思いますが、実はこの日に米軍が沖縄に上陸したのです。つまり沖縄戦開始の当日に、私は満州で産声を上げたということです。
 この日の前後、沖縄に向かう特攻隊員として散華された方の何と多かったことか。沖縄戦の壮絶、悲惨な内容を知るにつれ、誕生日が来るたびに『僕は彼らの生まれ代わり』では、との思いが自然に湧き上がってきました。
 満州で隠れ部屋から引き出され、拳銃を突き付けられた状況の中で生きながらえ、用意した自決用の青酸カリを最後まで使うことなく帰国できたことは、単なる偶然ではなく「いかされた」というほかないと思います。
 生かされた命は、死に行かされた命の代わりと私は思います。以前沖縄の遺骨収集に参加させていただいたとき、小学生から大学生の前で、そんな話をしました。
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