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在籍輔教 岡田典明
命のバトンは信心から -63-

 今年は教祖様がお生まれになって二百年というお年柄で、ご本部をはじめ各地で祝賀の行事が繰り広げられ、各教会の祭詞にもそのご内容が込められ、奏上されたことは皆様ご承知の通りです。亡くなられた年月とともに、いやそれ以上にお生まれになった年月こそ大切な意味を持つのではと、常平生から考えております小生にとって、その意を強くした一年でした。このことについては、すでに「命のバトンは信心から」の36〜39に比較的詳しく述べましたので、ご記憶の方も多いかと思いますが、今一度お読みいただければ、よくご理解いただけるのではないでしょうか。
 そうは言いましても、もうずいぶん前の記事でありますので、書き手の小生自身も、細かいことは覚えてないというのが、正直なところです。相すまぬことですが。そこで39の一部を再度掲載させていただき、教祖様ご生誕二百年のお年柄の意義について、小生なりの解釈の一端を申し述べたいと思います。その最初には、『すでに亡くなられた方の命の始まりである誕生日をお祝いし、お礼申すことは、命の尽きられたご命日よりも、あるいは大切ではなかろうかと思えるのです。なぜかと言いますと、これは当たり前のことですが、その方々が生まれられて、初めて私どもお互いの命もこの世に生まれることになったからです。父母、あるいは祖父母の誕生日があっての自分自身の誕生日もあるわけですから、‥‥‥。』とあります。このことをお道の信心で申しますれば「教祖様のご誕生あっての金光教」でありまして、そう表現する以外の何物でもないのではありますまいか。
 そうであるならば、お道は教祖様が亡くなられてから生まれたものではなく、お生まれになったことがあってのお道であることが、容易に理解できるのであります。
 教祖様のご誕生と、ご一人から始まったお道の信心が、今日私共に伝えられていることは、まことに有り難きことであると言わねばなりますまい。
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