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巻頭言

扉絵集



在籍輔教 岡田典明
命のバトンは信心から -62-

 さて、お扉の洗いのことですが、教会あげてのお手伝いの結果、長年の間に変色していた材も、何度かの手当で当初に近い色合いが戻ってきました。勿論新材のように真っ白というわけにはまいりません。むしろ古材独特の経年によるある種の貫録と言いますか、気品さえ感じられる仕上がりになったように思います。このような出来栄えに落ち着いた、第一の功労者は、六十年以上にわたって大切に手入れをされてこられ、今回の洗いに格別の思いを以て参加された教会の皆様であります。
 「神が社へ入っては、この世が闇になる」とのみ教えがありますことは、十分に承知していながらも、お扉の奥に神様の存在を感じておられる信奉者も、まだまだ多いように思われます。お扉があるのとないのとどちらが正しいというような問題ではありません。大切なことは神様をどう頂くかということではありますまいか。
 そうでありますれば「神に会おうと思えば、庭の口を外へ出て見よ。空が神、下が神。」とのみ教えと、お扉信心(岡田の勝手な命名)の間の、一見矛盾する問題も、お互いの信心の在り様一つで、解消するのではないかと思わせていただいております。長い教団の歴史を見ますと、お扉信心で多くの人々が助かってきたという事実があります。お祭りの中で、お扉が開くあの音の何と神々しくも厳粛なことか。新築の教会に古いお扉を是非ともお祭りしたいという願いを持たれた、件のお教会も、そうした助かりの歴史を積み重ねてこられたのでしょう。そこが大切なところではないでしょうか。戦災後間もないころ、貴重な材木をやっとの思いで手に入れ、お扉を守ってこられ、神戸の震災では倒壊を免れたお教会としてそのように願われるのは、ごく自然のことではないでしょうか。
 この教会にとって、お扉を守るということは、すなわち教会に伝えられてきた信心を守るということではなかったか、と思わせられた次第でした。
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