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在籍輔教 岡田典明
命のバトンは信心から -93-


 歴史を学ぶことの意義は、お互い遠い過去からの命のバトンがあっての今日であることに思いをいたすことではないか、ということを、市民講座で述べています。歴史を学ぶということは、過去・現在・未来にかかわる、いわば時間の経過を縦軸に置いたものであるのに対し、社会の学びは横軸を中心にしたものであるかと思います。ある時代の社会を考える場合、その時代の事件や、政治、経済、流行など、様々な要素を、横一列に理解することに力点が置かれます。
 これに対し、歴史は、過去から現在に至る経過を中心に、事件や、政治、経済など、人類の様々な活動を縦一列に理解することに力点が置かれるわけです。したがってそこには、その社会(国や民族、地域といってもよろしい)に生まれた、伝統や習慣、独自の文化や政治体制の経過をどう理解し、それをまた未来にどう伝えていくかという課題を常に背負った学問であると思います。単なる暗記の科目ではないはずです。
 歴史には、宇宙の成り立ちから、人類の歴史、国や民族の歴史といった、大規模なテーマから、地域や家の歴史など身近なものまでありますが、『自分史』など、最近注目されるものもありますね。自分史といえば、ご信心をいただいていますお互い、自らの信仰の歴史『信仰履歴』をこの際、明らかにしていきたいですね。
 人間はどこからうまれ、どのように生き、どこへ行くのか…は人類永遠の課題と言われております。山本定次郎さんが教祖様のもとへ初参拝された折、「人間は、どうして生まれ、どうして生きているいるのかということを知らねばなりませんなあ」と、教祖様に話しかけられ、何を言おうとされるのだろうかと思ったと、伝えられています。
 定次郎さんは、その時の天地のお恵みについてのみ教えが胸に突き刺さり、大変感激した、とも書いておられます。
 教祖様以来、時空を超えて貫かれ、バトンされてまいりました道の教えを、百十年を迎えるにあたり、改めて信仰履歴の中で再吟味させて頂かねばと、思う今月今日です。
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