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違和感
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2008.4/16
(水)
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先日ある人が「誤解しないで下さい」と言うのを聞いて、奇妙な違和感を感じた。 それはあなたの誤解だ、誤解しないでくれ、というのは、誰だって人に悪くは思われたくないのでその分を差し引いても、まずその人のなかに「正しい自分」というのがあって、それを相手が間違って判断したと捉え、その相手の間違いを指摘する、言わなくては気が済まないという屈折した心理が働いている。もっといえば高慢な態度である。相手がただそう理解したととらえればよいのである。その理解を尊重しようという謙虚な態度があって然るべきである。 信心する人は慎みたい言葉だと思う。
「許して下さい」これも違和感を感じていることばのひとつである。 自分が誰かに害を及ぼし、そのことで責めを受けているときでも、自己弁護したいのはわかるが、相手はあなたのことを「許せない」と考えているのである。考えてもみよう、人を許すという心は、凡そ人間の精神活動のうえでも最も到達しがたい、愛と自己犠牲にあふれた偉大な心の状態である。それを、自分の行為によって傷ついた人に対して要求しているのである。だから言われた方は、どんなに加害者が反省したような態度を示そうが、「おまえは私を傷つけておいて、その痛みも癒えないうちに、自分だけは罪の苦しみから逃れようとしているのか!」と憤りを感じるのである。許せないという相手の気持ちを尊重する謙虚な態度があって然るべきである。 信心する人は慎むべき言葉だと思う。
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