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若先生日記

メ-ルマガジン

コンプライアンス
2007.3/11 (日)
多発する企業の不祥事などの釈明で「コンプライアンス体制の確立」などという難しいことばを頻繁に耳にする
コンプライアンス(compliance)は倫理法令遵守といった意味で使われているらしい
こういったニュースの後、たいていキャスターやコメンテーターの誰かが、「コンプライアンスは確かに大切だが、法令さえ守っていれば何をやってもよいといった風潮も招きかねない」といった疑問符をつけ、次のニュースにうつる

法令さえ守っていたらそれでいいというものではない

ん?どこかで聞いたことがあるような…

そうだ…文治(教祖様)が四十二才、生死をさまようご大患のときのこと

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治郎という者に
「普請につき、金神への無礼がある」と神のことばがさがる
それに対して妻の父が
「当家においては日柄方位をみて建てたので無礼はない」
と言い返した
すると金神は
「それなら、方角さえみて建てたのなら、この家は滅亡し、亭主が死ぬことになってもよいというのだな」と仰せになる

それを病床できいた文治は驚愕する
義父はなんということを言われたか…
いや 義父が愚かだというのではない
それはこれまでの私のすがたそのものである
たしかに私は日柄方位をみていくことが神にかなうと思っていた
しかし私はなんにも知らなかった
あなたの留守をねらって侵入していた空き巣に等しかった
義父にかわってお詫び申します
どのような無礼があったか凡夫の私には到底わかりません
方角だけみて済んだとは思ってはなりませんでした
以後何事も神に無礼のないようにお断り申し上げてまいります…

------------------(私訳)

この改まりが神の機感にかない、神々との真の交流がはじまっていった


私たちが真に守らねばならないものは何であろうか
いうまでもなく金光教祖の伝える天地の道理 神の御教えしかない
しかし教えを守るというのは いったいどういうことか
堅苦しい戒律を守るようなことではない
金光教の場合 それは天地の心=和賀心になることしかない
すべての教えは皆その道に通じているのです
いくら物をしっていても
人を責めたり許すことのできない心でいたら
教えを守っていることにはならないのです
信心のコンプライアンスは
和賀心になることです

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